3/31/2017

音楽大学、宝塚音楽学校の受験指導奮闘記

  東京の桜は満開の一歩手前という状態で、綺麗に咲いています。

 今年度の受験指導が終わりました。
 音大、音高などの受験生の指導はこれまでもやってきておりますが、この一年間は私にとって「試練」であったとも言える気がしております。
 タイトルに「奮闘記」などと入れましたが、私にとっては決して大げさなことではなく、いろいろな意味で「奮闘」であったと改めて感じているのです。
 
 まず、今年度は浪人生を受け持っておりました。
 浪人と言ってもその生徒さんについては昨年、第二志望の私立音大は受かったのですが、残念ながら第一志望の東京芸術大学受験は合格とならず、その際に親御さんからご相談をされ、浪人せず受かった学校へ行くか、または来年再チャレンジするかという決断をする時に、昨年の主科実技の試験の時に、インフルエンザで回復したばかりで本調子とは言えなかったことと、生徒(受験生の子)が実力のある子であった為、「進路を決定するということは荷が重いのですが、この子が私の娘なら、来年もう一度チャレンジすることを勧めると思います」と、私が返答をしたことにより、浪人することに決まったという状況になり、それから一年間、今まで経験したことのない心情で指導をしていくことになりました。
 「第二志望校に入っていたとしても、また別の良い道へ進んだかもしれない」と、ふと考える時には、いたたまれない気持ちになることもあり、その反面、自分のした返答に対して、「その発言で良かったのではないか」と思ったり、複雑であったのが正直なところでした。
 それでも、「私にできることをやり尽くそう」と常に自分に言い聞かせ、指導を行ってきたつもりで、あっと言う間に時間が過ぎていったようにも思えます。

 今年に入り、受験指導も終盤という頃にはまたインフルエンザも流行り、受験生たちの体調も心配しながらのレッスンは毎回全力投球をしている感じがしておりました。
 良い結果が出るか出ないか、そこを考える時間が増え、きっと生徒さん同様、試験日がまだ来てほしくないような、早く終わってホッとしたいような何ともいえない心持ちでした。

 それでも芸大受験に関しては、「今年落とすわけにはいかない」というプレッシャーは半端ではなく、それを表に出さないことも結構大変でしたが(「先生より私のほうが大変だしー!」と言われそうですが  笑)、実技のほうもソルフェージュも後半が特に安定しており、体調さえ悪くなければまず大丈夫かな?と思えるところまで生徒さんも頑張り、かなり良い仕上がりになっていたことが、とても私の安定剤の役割を果たしてくれていたように思います。
 終盤、一番気がかりだった体調のほうも、今回は特別崩すこと無く最後の入試日まで保ち、見事声楽科に合格してくれました。
 
 今年度もう一人、エネルギーをかなり使った受験指導がありました。
 昨年3月に、お二人の宝塚音楽学校受験志望の生徒さんがいらっしゃり、一人は娘役志望、もう一人は男役志望ということで、男役志望の子のほうは、地声での受験を選択するのであれば、私は最後までは指導しないほうが良いかもしれないと思いつつ、面談をしたのを覚えています。
 結局、地声で完璧に歌うのではなく、あまり今までやったことのない裏声を受験合格レベルに持っていきたいという強い希望があったのと、声質が、男役志望と言っても、身長は
170以上あるけれどわりと細めの声で、私の声種と全く違うというほどではなかったことから(生徒さんが指導者と声種があまり違うと、初歩の段階において発声の感覚をつかみにくい為)お引き受けをし、レッスンが始まりました。
 課題曲が発表されるまでは、音符の基本的な読み方、リズムのとり方、それから当然発声をしっかりやらないといけなく、一言で「発声」と言っても、お腹や体や顏の使い方から、息の流し方、響きの付け方等、また、歌詞を付けて歌った時に、言葉のほうも音のほうもしっかり綺麗に聴こえるように歌うには、一つ一つテクニックを見につけていく必要があり、間に合うかどうかという感じで二人のレッスンをできる限り丁寧にやっていたのですが、8月頃、娘役志望の高1の生徒さんが、下調べを兼ねて兵庫県の宝塚まで行き、帰ってきた際に、「ちょっとこの世界は私の範疇を越えている気がして、断念しようと思う」というような意向を伝えてきたので、たくさん考えて出した結論であればということで、しばらくは一緒に考えましたが、結果、とりあえず今年度の受験は見送り、音大受験に切り替えるということになりました。
 声も綺麗で熱心で素直な子だったので、正直なところ、残念な気持ちはありましたが、道はいろいろあるもので、後悔さえしなければいいなと願いました。

 あとは男役志望の生徒さんのレッスンは変わらず厳しく行ったと、自分でも思います。
 打たれ強い子であったことも救いでしたが、とにかく間に合わせないとという感じで焦りを感じつつも、わりと順調に進み、声が出てきた段階になったら、今度は喉で押したくなるので、それを抑えたり、力強さを喉以外の所をフルに使って表現できるようになど、やることは山のようにありましたが、今年に入ってからは本人も猛烈に努力した成果も現れてきて、「何とかいける」という状態で終盤を迎えました。
 3月下旬の十日間の間に一次から三次試験まであるという日程の中、一次試験の数日前に高熱を出し、喉も痛いと言いながらフラフラの状態で一次に臨んだのですが、一次試験はダンスや歌の試験では無かったのも運が良かったのですが、試験中倒れることがなくクリアしたとのことでした。
 私は二次までに、傷んだ喉の状態、また声の状態が戻るのかということが心配で、祈る思いでした。
 「歌の練習が出来ないのはとても不安だとわかるけれど、とにかく二次ぎりぎりまで声は出さないで、喉の調子を治すことに専念して」と言い続けました。
 二次試験二日前にちょっと声を聴いたところ、いい感じに回復してきたと思っていましたが、付き添って宝塚に行ったお母様の話によると、二次試験当日は乾燥からか、喉がまた痛く、緊張し声も本調子ではなく、実力が出しきれなかったので合格は難しいと思ったようで、二次終了後にはそんな内容のメールをもらいましたが、しかし結果は見事通過し、最終の三次へ・・・。
 今年度は、岩手県を除く46都道府県から1042人が受験し、合格者はいつものように40人、倍率は約26倍という情報が入ってきている中、三次は私の指導の範囲ではなく健康診断や面接という内容でしたから、アドバイスなどはこれといって出来ず、私も最後は励ますことと、ただただ祈ることしか出来ませんでした。
 一次で3分の1に人数が減り、二次でもまたそこから3分の1になり、三次を受けるのは約100人。
 その中の合格者40人の中に入ることを信じ、昨日(30日)に迎えた合格発表で見事難関を突破し合格した中3の生徒さん。
 私以外のところでも勿論、宝塚の予備校といわれるところで模擬試験を繰り返し受けたりして必死に頑張って、高校受験も並行して熟し、物凄いパワーもあり、またこの道に通用する華のある子でしたが、ご家族の皆さんも一丸となって闘っておりました。

 この他、今年度は昨年中に行われた私大推薦入試の音楽指導もあり、ピアノと声楽の実技よりむしろ聴音などの点数を上げるのに苦労した時期がありましたが、昨年この推薦入試がうまくいったことが、その後の私のエネルギーになりました。
 受験指導というのは、課題曲の選曲をはじめ、入試のその日までどういう順序で、ベストの状態にもっていくか、いわゆる「作戦」のようなものが成功しないと当然結果が出ず、生徒さん個人によってかなり異なる順序になるのが難しいところだと思います。そして毎回新しい発見もあり、学ぶことも多いものです。
 今回はまた、いろいろと貴重な経験が出来たと思います。

 今年度の受験生、またご家族の皆さん、本当におめでとうございます!
 生徒さんたちは本当によく頑張りました!
 心から嬉しく思います。
 また、もしこの投稿をご覧になっている方の中に、今年の受験や試験で思うような結果が出なかったという方がいらっしゃいましたら、気持ちの切り替えは一日も早く、そして目標に向かってやるべきことを着実にやっていき、目標を達成してほしいと思います。


 未来のある若い生徒さん達へ  

 自分の力を信じ、それでも謙虚に精進していって下さい!
 何か壁にぶつかることがあったら、悩むのはなるべく少しにして、頭で考えて、乗り越え、良い方向に進んでいって下さい! 
 乗り越えられない壁は無いから。
 まずは自分のことを手を抜かず一生懸命にやって、余裕ができたら、人の為に何かができるようになって下さい!

 それは私自身がそうありたいと願うことでもあるのですが・・・。


 皆さん素敵な春をお過ごし下さい。